- Introduction -

失われつつある戦争の肉声を記憶しつづけるために……。岸田演劇賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。現代演劇の金字塔「マリアの首」(原作戯曲:田中千禾夫(たなかちかお)、ついに映画化 失われつつある戦争の肉声を記憶しつづけるために……。岸田演劇賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。現代演劇の金字塔「マリアの首」(原作戯曲:田中千禾夫(たなかちかお)、ついに映画化

人類史上、たった二度だけ使用された原子力爆弾は、広島、長崎に投下された。これは、2021年現在、最後の原爆投下地となった長崎で、復興期を生き抜いた人々と被爆マリア像の数奇な運命をめぐる知られざる戦後史である。

1945年8月9日11時02分──、広島に次ぐ二発目の原子力爆弾、『ファットマン』が長崎市に投下され、人口24万人のうち約7万4千人が一瞬にして命を奪われた。東洋一の大聖堂とうたわれた浦上天主堂も被爆し、外壁の一部を残して崩壊。聖堂にあったマリア像は、焼けただれた頭部だけが残された。

時を経て、復興の兆しが見えはじめた長崎では、日米国交の妨げとなる浦上天主堂の残骸を撤去するか、被爆遺構として保存するかで、市民と行政のあいだで議論を呼んだ。そんな中、「被爆マリア像」と名付けられたマリア像の頭部が、忽然と姿を消した……。

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この事実に触発されて、戦争体験者で劇作家の田中千禾夫(たなかちかお)は、1959年に戯曲「マリアの首 ─幻に長崎を想う曲─」を上演した。廃墟と化した浦上天主堂に置き去りにされた「被爆マリア像」を盗み出す信徒の女たちと、戦争や被爆体験に苦しみながらも、新たな一歩を踏み出す人々の姿を詩的に、時に哲学的に描いた作品は、岸田演劇賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。唐十郎や野田秀樹ら多くの演劇人にも影響を与えたといわれ、現代演劇の金字塔として戦後演劇史にその名を刻んだ。

そして、終戦から76年を経た現在(いま)──あの戦争を肉声で語る世代は、次第に失われつつある。そんな時代にこそもう一度、戦争の愚挙や悔恨を後世に語り継ぐために、『マリアの首』は新たな生命を吹き込まれ、映画『祈り ─幻に長崎を想う刻(とき)─』として再誕した。

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監督は、劇映画のみならず、数多くのドキュメンタリーで手腕を振るう、松村克弥。“人間爆弾”と呼ばれた特攻機「桜花」に乗り込んだ若者たちの過酷な青春を描いた『サクラ花─桜花最期の特攻』や、日立鉱山の煙害問題を扱った新田次郎原作『ある町の高い煙突』で見せた、ジャーナリスティックな視点とより卓越した洞察力で人間ドラマを紡ぎ、傑作戯曲の映像化を実現させた。脚本は、『ある町の〜』につづいて松村組参加の渡辺善則が、原作戯曲にオリジナル要素をくわえて脚色。撮影は、日本に撮影監督システムを確立し、三谷幸喜、金子修介監督作品をはじめ、大作からインディペンデントまで幅広い作品に参加する、髙間賢治。照明は、『山中静男氏の尊厳死』、『死にゆく妻との旅路』など、髙間とのコンビで多く活躍する上保正道。美術は、黒澤明、五社英雄の現場で経験を積み、大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館─キネマの玉手箱─』の美術監督も務めるほか、公開七十周年記念・映画「羅生門」展のための1/10スケール復元セットを設計、監修した安藤篤が、長崎の闇市を臨場感あふれるデザインで再現しているのも見どころのひとつである。編集は、『大誘拐』、『愛を乞う人』、『金融腐蝕列島 呪縛』、『おくりびと』で、四度の日本アカデミー賞最優秀編集賞に輝く熟練、川島章正。音楽を、市川崑作品を皮切りに数々の映画音楽を手がける一方、父であり詩人の谷川俊太郎との朗読コンサートなどでも活躍する、谷川賢作が担当する。

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キャストには、隠れキリシタンの末裔で、戦争で深い傷を負った人々を癒す、看護婦であり娼婦というふたつの顔を持つ鹿を、高島礼子。爆心地で自分を犯した男への復讐を誓いながら、闇市で詩集を売る忍には、黒谷友香。信仰心を抱きながら、対照的な生き方を歩むふたりのヒロインをそれぞれが演じる。忍の夫で、原爆症への差別に怯えながら隠遁生活をつづけ、自らも戦争で犯した罪の意識に苛まれる桃園には、田辺誠一。そのほか、寺田農、柄本明、村田雄浩、藤本隆宏、温水洋一、金児憲史、馬渕英里何、宮崎香蓮という、ベテラン勢から個性豊かな顔ぶれが揃い、重層的な人間ドラマを織り上げている。さらに、美輪明宏が「被爆マリア像」の声を演じ、神秘的な趣をもたらしている。

主題歌には、長崎市出身のさだまさしが「祈り」(アルバム「新自分風土記Ⅰ〜望郷編〜」より)を提供。奇しくも、曲中のコーラスパートは、再建された浦上天主堂で長崎市民コーラスの方々の協力を得て収録されている。

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- Story -

「神の母・聖母マリア、罪人なる我らのために今も臨終の時も祈りたまえ 「神の母・聖母マリア、罪人なる我らのために今も臨終の時も祈りたまえ

1945年8月9日11時2分、広島に次ぐ二発目の原子力爆弾が長崎市に投下され、人口24万人のうち約7万4千人が一瞬にして命を奪われた。東洋一の大聖堂とうたわれた浦上天主堂も被爆し、外壁の一部を残して崩壊。それから12年の時が過ぎて─

1957 年、冬の長崎。戦争の爪痕が生々しく残る浦上天主堂跡には、いまでは誰も近寄るものもない瓦礫のなかにひっそりと埋もれるように、聖母マリア像=通称「被爆マリア像」の首と腕が転がっている。

浦上天主堂の保存を巡って議会が紛糾しているなか、被爆のケロイドを持つカトリック信徒の看護婦であり娼婦というふたつの顔を持つ鹿。そして、闇市で詩集を売りながら、自分を犯した男への復讐を誓う忍。二人は戦争の記憶と傷跡を残すため、被爆した浦上天主堂から被爆マリア像の残骸をひそかに盗み集めている。

そして雪の降るクリスマスの日。マリアの首を仲間とともに盗もうとするがそこには思いかけない結末が待っていた。